先日、高校時代の友達に呼び出されて、初めてダーツを体験してきました。
自分でもびっくりするぐらい全然的に刺さらなくて、仰天しました。でもみんなほんまにいい人で、うちの刺さらない状況を見ても「おしい!」「いい狙い!」と延々と声をかけてくれたので、へたっぴながらもダーツを楽しむことができました。
家に何気にダーツの的はあるので、練習しようっと。
そのあと呑んでいたら結婚の話になって、新婚ほやほやの友達に「結婚決めたきっかけはなんだったの?」っときいてみたら、「結婚しない理由がなかったんだよね。」っと言われまた。それを聞いて、うちは『はぁ、なるほどっ』と思いました。人それぞれきっかけも違うんだなぁっとしみじみ。でも、そういう風な感じなほうが、意外とうまくいくかもしれないですね。
最近は読書に励んでいます。
主に作家のエッセー集が多いかな。
読んでいてすごく面白かったのは、山崎ナオコーラさんの「指先からソーダ」でした。観察力が鋭いし、感性が実に面白くて、目からウロコっていう内容がとても多かったです。私と似たような感覚な人には是非おすすめ(笑)そのほかにも石田衣良さんのエッセーも良かったです。
両者ともに読んでいて思ったのが「全ての物事を肯定的に捉えている」点でした。例えば、伝えたいと思ったことが、思うように伝わらないっていうことは誰にだってあると思います。でも、それを伝わらないことをマイナスに捉えるわけじゃなくて、『伝わらないこともあるよね』っといった感覚で「伝わらない出来事」を肯定してるんです。いつか伝わる日が来るかもしれないし、逆に来ないかもしれません。いずれにせよ、何かができなくても、その人の人生の1ページにその思い出は記されてゆくわけだから、それでいいじゃない。なるほどっと思うわけです。
先日、ある人に「もっとこうした方がいいよ」って言われました(内面的なことね)。
それに対して、私は「別に今のままでいいんです」って答えました。
言ってくれることはよくわかるんです。そうしたほうが、よりいいじゃん!っていうのは分かるんです。それは自分でも認めている点ではあるし、昔はそういう風に生きれたらいいなぁっと思ったこともありました。
でもね。できないものはできないんです(苦笑)人格は、その人の個性はもちろん、生まれた環境や育ちなども大きく影響している部分なんで、「こうしたほうがいいよ」って言われたところで簡単に変えられるものではありません。だから、今はその部分も受け入れてゆくしかないなぁっとしみじみ思うのです。
不器用な部分があっても、それをカバーする何かが必ず誰にだってあるのもんです。
まぁ、なくてもいいかもしれません。
だって、そのために人はお互いを必要としているのですから。
「もっとこうしたほうがいい」って言われたところで、変われる人間なんていないと思うんです。言われて、何か自分の中で「そうだなぁ」っと納得する場面や気づきがあって、始めて人は変わろうとする。だから、私は結局「自分を変えられるのは自分だけ」って思います。
自分の中で変えたいっと思うのであれば努力すればいいと思うし、別にそう思わないのなら、そのままでいいと思う。
そして、たとえ努力したところで思ったように変わらなくても、さして悲しむこともないのだと思います。
だって、誰に不器用な部分はあるわけだし。
その反面、誰にだって素晴らしい素敵な部分もあるわけだし。
いいじゃん。
され、みんなで脳みそマッサージ。
ぐりぐり。
まぁ、「後悔」だけはせんように。
今日も自分に言い聞かせてます。